森駅で見た青い海と空と駒ヶ岳を、私は忘れない
2019年8月某日。
夏休み、というには心もとないが、まとまったお休みをもらうことができた。
仕事で心が荒んでいた私は、鈍行列車で北海道を旅することにした。
広大な北海道を、1日数本しかない普通列車で旅をするというのは、仕事に追われるだけの日々を過ごす現代人にはいささか贅沢な気もしたが、会社という異世界の戦場を戦い抜いた自分へのご褒美には最適だと思ったのだ。
これは旅の序盤、森駅での出来事である。駅弁に詳しい人であれば、その名前を聞いただけでピンと来るかもしれない。そう。あの"いかめし"で有名な森駅である。
特急列車であればあっけなく通り過ぎてしまう森駅だが、普通列車だと、まるで駅弁を買いに行くためだけにあるかのような長時間停車に遭遇することがある。
私が乗った列車も例外ではなく、森駅で長いこと停車した。そこでジッとしていられないのが鉄道ファンのサガである。
私は広い大地の空気を味わうため、車両の外に出た。
正直それほど期待していなかったのだが、そこには、駅名からは想像できない躍動的な景色が広がっていたのだ!
線路ギリギリまで迫る噴火湾。
跨線橋の窓を埋め尽くす青い海と空。
堂々とそびえ立つ駒ヶ岳。
筆舌に尽くし難い絶景だ。
私はこの素晴らしい景色を見て、仕事などしている場合ではないと思った。
それはそうだろう。無機質な机が並びやかましい電話が鳴り響く職場しかないと思っていた日本に、こんな素晴らしい風景があるのだから。
しかし、それと同時に、私は仕事を続けたいとも思った。
なぜなら、この景色を自分の目で見るためには、それなりの資金力が必要だから。
美しい景色を見たい。その気持ちは、働く動機になっていたのだ。
ここに来なければ、もしかしたら会社を辞めていたかもしれない。
しかし、今私に会社を辞めるという決断はできるであろうか。いや、できない。
また来たいと思える場所がひとつ増えてしまったのだから。
次に森駅に来るときは、ひょっとすると函館本線は第三セクターの路線になっているかもしれない。キハ40は過去帳入りしているかもしれない。もしかしたら、私は会社で居場所がなくなっているかもしれない。
例えそうであったとしても、私はまたこの場所で海風を浴びたいと強く思ったのだった。